2014.3 公許女医ぎんさんを訪ねて
弥生のある温かい日、荻野 吟子さんの出生地にある熊谷市立荻野吟子記念館を訪ねてみた。
男女共同参画推進とか堅苦しい想いでの小旅行をするつもりではなかったが、「さいたま輝き荻野吟子賞」などで埼玉県のホームページから、またNWECの女性情報でも何度か取り上げられていたので何時か訪れたいと考えていた。
インターネットを開くと、
『荻野吟子、1851年4月4日(嘉永4年3月3日) - 1913年(大正2年)6月23日)は、近代日本における最初の女性の医師である。女性運動家でもある。なお、日本人女性初の国家資格を持った医師であるが、医術開業試験制度がなかった時代から、榎本住(1816年 - 1893年)ほか何人かの女性医師が開業していた。西洋医学を学んだ女性医師としてはシーボルトの娘・楠本イネ(1827年 - 1903年)がいる』
とある。
『荻野吟子、1851年4月4日(嘉永4年3月3日) - 1913年(大正2年)6月23日)は、近代日本における最初の女性の医師である。女性運動家でもある。なお、日本人女性初の国家資格を持った医師であるが、医術開業試験制度がなかった時代から、榎本住(1816年 - 1893年)ほか何人かの女性医師が開業していた。西洋医学を学んだ女性医師としてはシーボルトの娘・楠本イネ(1827年 - 1903年)がいる』
とある。
お上の表現では「女医第一号」・・というけど、一号さん、二号さんとの言い方はいかがなものかしら。
因みに正式に近代女医の、二番目は生沢クノさんです、実はこの方も埼玉県の女性。
『生沢クノ(久野・久乃)は、荻野吟子に続いて、日本で第二番目の女医になった人である。
クノは元治元年(1864)十二月二十六日、医師生沢良安の三女として生れた。生地は武蔵国榛沢郡深谷宿(現・深谷市深谷)である。父良安は栃木県都賀郡牛久村の出身、母多幾は、群馬県邑楽郡下五箇村の出である。「埼玉の女たち」 韮塚一三郎著より』
クノは元治元年(1864)十二月二十六日、医師生沢良安の三女として生れた。生地は武蔵国榛沢郡深谷宿(現・深谷市深谷)である。父良安は栃木県都賀郡牛久村の出身、母多幾は、群馬県邑楽郡下五箇村の出である。「埼玉の女たち」 韮塚一三郎著より』
記念館の裏側に咲く 見事な紅梅
紅梅の右手には 白梅が仲よく満開に