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Checked first woman doctor Ginko 2014.3

2014.3 公許女医ぎんさんを訪ねて
 
弥生のある温かい日、荻野 吟子さんの出生地にある熊谷市立荻野吟子記念館を訪ねてみた。
 
男女共同参画推進とか堅苦しい想いでの小旅行をするつもりではなかったが、「さいたま輝き荻野吟子賞」などで埼玉県のホームページから、またNWECの女性情報でも何度か取り上げられていたので何時か訪れたいと考えていた。
場所は、旧、武蔵国幡羅郡(はたらぐん)俵瀬(たわらせ)村、2005年9月30日までは大里郡妻沼町大字俵瀬となっていたそうな、現在の住所表記は埼玉県熊谷市俵瀬との事である。
群馬県太田市方向に向かい、利根川を越えない付近でした。
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インターネットを開くと、
『荻野吟子、1851年4月4日(嘉永4年3月3日) - 1913年(大正2年)6月23日)は、近代日本における最初の女性の医師である。女性運動家でもある。なお、日本人女性初の国家資格を持った医師であるが、医術開業試験制度がなかった時代から、榎本住(1816年 - 1893年)ほか何人かの女性医師が開業していた。西洋医学を学んだ女性医師としてはシーボルトの娘・楠本イネ(1827年 - 1903年)がいる』
とある。
お上の表現では「女医第一号」・・というけど、一号さん、二号さんとの言い方はいかがなものかしら。
因みに正式に近代女医の、二番目は生沢クノさんです、実はこの方も埼玉県の女性。
『生沢クノ(久野・久乃)は、荻野吟子に続いて、日本で第二番目の女医になった人である。
クノは元治元年(1864)十二月二十六日、医師生沢良安の三女として生れた。生地は武蔵国榛沢郡深谷宿(現・深谷市深谷)である。父良安は栃木県都賀郡牛久村の出身、母多幾は、群馬県邑楽郡五箇村の出である。「埼玉の女たち」 韮塚一三郎著より』
 
 
記念館の裏側に咲く 見事な紅梅
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紅梅の右手には 白梅が仲よく満開に
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保存会の方々なのかボランティアさんの清掃手入れが行き届き、気持ちよかった。
この桜には「吟子さくら」と名前が付いている
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参考文献としては、
『荻野吟子 日本女医第一号』荻野吟子女史顕彰碑建設期成会編 昭和42年初版 瀬棚町発行
『日本女医史』日本女医会編 昭和37年 日本女医会本部発行 
『花埋み』渡辺淳一著 ISBN 4-10-117601-9(新潮文庫
などがある
おそれ多くて顔を入れて写せなかった、後ろに見えるのは利根川の土手である
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                                                       ↑拡大すれば見えそう
 
 
考察もどき
何気ない小旅行のつもりが、吟子さんのあの壮絶な生き方に深く感動する、
明治大正昭和と続く、男尊女卑の社会で、こんなにも男女平等に努力した女性がさいたまの地にいらっしゃったことはうれしい。
今でも、男性の理不尽な発言や行動にはあきれる事も多いし腹も立つけど、負けないわ。
 
参考資料によれば、吟子さんのお墓は東京にあるらしい、探せはわかりそうな気がする、
この明治の初め頃は、あの会津の山本八重さんが活躍している、そういえば吟子さんと同志社新島襄氏との関連、う~ん、これは北海道にも行かねば、ちょっと遠いけれど。
 
 
2014.3. 館外自主研修